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bibourokurokuの日記

ただ単に私の為の備忘録です^^100%コピペで内容は強烈な事ばかりなので、ほぼ閲覧注意レベルです。コメントに関しては100%スルーなのでお好きにどうぞ^^後内容にが重複する事もあるかも知れないので、その点もご了承下さい。

「精神薬で救われている人もいる」という錯覚

「精神薬で救われている人もいる」という錯覚

結論から言うと全く救われてる人はいませんというのが当然の答えです。この結論を導くためにはいくつかの基本的知識が必要です。一つは精神やこころにとって(というより医学にとって)の治癒とは何かという問題。一つは精神疾患などは存在しないと言い切れる理由をどこまで理解しているかという問題、一つは精神薬とは科学的や分子学的にどのような物質であるかという問題、一つはプラセボ効果とは何かという問題、一つは精神薬はそのプラセボ効果以下であるにもかかわらず効いていると感じる人が一部いる問題、そして救われたという言葉が一体何を意味するのかという問題です。

まず一つ目からいきますと、精神医学でいう寛解という言葉は、ただ精神医学が治せないということを隠すための言い訳です。治せないだけならまだしも悪くしてそれを隠すから更に始末に負えません。ここでは治癒の定義が必要になりますが、当然ながら治癒とは薬をやめて病院から卒業することを意味します。これ以外のものを治癒とは呼びません。どーでもいい症状などの場合、たとえ精神医学であろうと治ってしまう場合もありますから(これは後の話ともつながっていますが)、そのあたりも除外する必要があります。

精神疾患が存在しないと言い切れる理由は、主観で適当に病名をつけること、状態についてただつけているだけのこと、原因についてまったく追求していないこと、ほとんどすべての精神疾患と呼ばれる病気が、医原病であることにあります。精神薬でさえもプラセボ効果でよくなる人もいますが、その時精神薬に他の問題がないかどうかの検討です。精神薬を一度飲むと非常に重篤な問題が出現します。それが依存症状であり禁断症状であり、もう一つは農の実質的な変化です。精神薬は脳を作り替えてしまい、病的にさせていくことが科学的にわかっています。まあ麻薬や覚醒剤と一緒なのだから当たり前です。

ある患者が例えばうつや不安に陥っていた場合、向精神薬を飲んだとして奇跡的に副作用が出なかったと仮定しましょう。その場合プラセボ効果でよくなったと感じる人もいますが、そうではなく作用でよくなったと感じる人もいます。その場合の効果は覚醒剤などと全く同じであり、だから置き換えればいいです。うつや不安の時にシャブやMDMAを飲んだとしたら、奇跡的に副作用が出なければ、「あ~、気持ちいい、へらへら、麻痺し依存しラリっているだけ、これが科学的にいうところの寛解の正体です。

今の人類にとって救われたとは、目先の利益にとらわれて、問題が感じられなくなれば救われたと考えている人間ばかりなのです。まさにその代名詞がドラッグであり精神薬であり、それは問題の先送りであり必ず後で代償や不幸を呼び込みます。問題自体も本質的に解決していないのだから当たり前です。これはもう少し拡大して考えればトーキングセラピー(いわゆるカウンセリング)も、所詮同種であることにほんの少しの人だけが気付けることでしょう。穏やかであるということ、受容するということは本質的な問題、人生に出現してくる数々の諸問題から逃げているという状態なのです。

だからそういう人は自分がその不幸を招き寄せているにもかかわらず、それを自分のせいだと気付く事はありません。臭いものに蓋をする人間に、次から次へと問題が起こるのは必然でしかありません。結論をまとめると、精神疾患は適当な病名で、精神薬を投与すると、大半はその副作用率の高さからどんどん弊害を起こし、少数は治った気になっているが覚醒剤的作用によってラリっているだけです。また脳はアップレギュレーションによって作り変えられていき、本質的な諸問題にも対処できなくなります。つまりだれも救われることはありません。