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bibourokurokuの日記

ただ単に私の為の備忘録です^^100%コピペで内容は強烈な事ばかりなので、ほぼ閲覧注意レベルです。コメントに関しては100%スルーなのでお好きにどうぞ^^後内容にが重複する事もあるかも知れないので、その点もご了承下さい。

熊野以素議員の質問~教育勅語について~

豊中市議会本会議(3月7日)。「教育勅語」に対する見解について、1944年生まれの熊野以素議員ならではの骨太の質問でした。私、坂本保子の文責で書き起こしましたので、読んでください。

熊野いそ議員質問
今、とても心配なことがおこっています。
私は大日本帝国臣民、天皇の家来として、選挙権もない女性として生まれました。日本は国民主権の国ではなかった。私にとって1年3ケ月の大日本帝国憲法時代ですが、福岡大空襲にあい母と戦火の中を逃げまどったことといい、伯父が恐ろしい九大生体解剖事件に巻き込まれ悲惨な運命を辿ることといい、良いことは一つもありませんでした。敗戦とともに女性参政権が実現し、2年後国民主権憲法が施行されたのです。

帝国憲法の時代の教育方針の要が「教育勅語」です。「教育勅語」は「汝臣民(なんじしんみん)」と呼びかけます。天皇がお前たち家来である民に命令しているのです。「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼(ふよく)スヘシ(国に危機が迫ったなら国のため力を尽くし、それにより永遠の天皇の国を支えよ)」という内容です。道徳の教科書ではありません。ご真影とともに奉安殿に安置されました。天皇主権の教育の柱だったのです。

野田町に小学校を開校しようとしている法人は経営する幼稚園で「教育勅語」を暗誦させることで知られています。この幼稚園では『海ゆかば』も歌わせるそうですが。この歌の意味をご存知ですか?「海を行けば、水に漬かった死体となり、山を行けば、草の生える死体となって、天皇の足元にこそ死のう。後ろを振り返ることはしない」という歌です。

もちろん日本の戦前がすべて真っ暗だったわけではありません。私の父母の若い頃は大正デモクラシーの時代で言論の自由もかなりありました。「楽しい時代だった」と母はよく言っていました。それが一変したのは、軍部が政治を乗っ取って戦争に突っ込んでいってからです。一切の言論は弾圧され、男の子は天皇陛下のために死ね、兵士になれと教えられ、女の子はよき兵士を産めと教えられました。100%利用されたのが「教育勅語」であり『海ゆかば』などの軍歌でした。

教育勅語」は極度に神聖視され、暗誦は勿論、登下校の時、奉安殿へ礼拝する。読みまちがえた校長は首になったといいます。子どもたちは完全に刷りこまれ「天皇陛下のために死ぬ。そのために生まれてきた」と思い込んでいったのです。戦争にいくわが子に「生きてかえって!」と呼びかければ、非国民とされた時代になったのです。

あの戦争が正義の戦争だったいう声がまた聞こえてきます。しかし開戦に反対した人はたくさんいたのです。海軍司令長官山本五十六も、戦後自民党の首相になった石橋湛山も反対だった。戦争がはじまってからも戦争をやめようと動いた政治家たちもいましたが、すべて弾圧されました。賢明な声を踏みにじって軍部が暴走した果てが悲惨な敗戦でした。
私の父母の世代は心底ほっとしたそうですが、よき兵士になれと刷り込まれていた若者達は敗戦を受け入れることができませんでした。私の子どもの頃はこういう若者が起こす事件が新聞紙上を賑わしていました。

本当に教育の力は大きいのです。「教育勅語」は1948年廃止され、教育基本法がつくられました。子どもたちを民主国家の主権者に育てることが教育の目標とされました。民主主義国家になって日本は国際社会で確たる位置をしめるようになったのです。

ところが開校予定の小学校では教育の中心に「教育勅語」が据えられているということです。名誉校長の安倍昭恵氏、先日辞任されたそうですが、「この幼稚園でせっかく芯ができたのに公立学校に入った途端にゆらいでしまう」と発言されています。「教育勅語」がこの幼稚園が育てた芯でしょうか。

報道によれば文科省は「教育勅語は戦前の教育方針であり、教育勅語を戦前のように学校教育に取り入れることはふさわしくない」といっています。教育委員会にお聞きします。
豊中市も同じ考えですか? 豊中の公教育の姿勢をお聞かせください。

教育委員会答弁
教育は、日本国憲法の精神にもとづいて、教育基本法をはじめとする各種の法令、学習指導要領等の示すところに従い行われるべきと考えております。あわせて、教育委員会といたしましては、教育環境の充実に努め、様々な教育施策の実現により、次世代を担う子どもたちの「人とつながり、未来を切り拓く力」を育んでまいります。

熊野議員質問
豊中市憲法にのっとった教育を行おうとしている。そういう教育をすると芯がゆらいでしまうという。つまり豊中の公教育を否定する学校が豊中にできるかもしれないということなのです。それも豊中市立中学校の目の前に。

さらに心配なことがあります。
首相のパートナーだけではなく、防衛大臣が国会で教育勅語を評価する発言をしています。国会討論の場では与党席から「教育勅語よし」の声が飛びました。首相をはじめ国会議員憲法を護る特別の義務を負わされている。その国会議員国民主権日本国憲法と真逆な天皇主権の「教育勅語」を評価する。時代が逆戻りしたのか!という思いにかられました。

この問題の法人の理事長はこの学校を作るにあって行政に後押してもらっているとの発言をしています。国会議員の口利き疑惑も出てきています。単に特異な教育をする小学校ができるという話ではない。憲法そのものを否定する動きが起こっている、政治家の圧力を受け、行政が学校設立を後押ししたのではないか。「まさか豊中市は関係してないよね?」と市民の方から聞かれました。豊中市憲法の理念にのっとった市政運営をしているはずです。改めて具体的にお聞かせください。

人権政策監答弁
本市は、憲法の理念を地域で実現するため、平和で平等な社会の実現をめざし非核平和都市宣言を、市民一人ひとりの人権が守られ、心豊かに暮らすことができるまちづくりに向けて人権擁護都市宣言を行い、さらに人権文化のまちづくりをすすめる条例などを制定しております。それらに基づき、あらゆる行政施策において平和意識の醸成と人権尊重を基調としたパートナーシップのもと、これからも取り組みを進めてまいります。

熊野議員質問
それでは市長にお聞きします。憲法の理念を実現するために豊中の子どもをどんな姿勢で育てていこうとされるのですか? この豊中国民主権、平和主義や基本的人権を否定するような学校がつくられようとしている、それを大きな力が後押ししているのではないかということについて、どのようにお考えになっていますか、お聞かせください。

人権政策監
市の基本姿勢といたしましては、すべての人々の人権が守られ、個性や創造性が発揮できるよう、日本国憲法の理念である国民主権、平和主義、基本的人権の尊重の精神が暮らしの中に生かされる社会の実現をめざし、市政運営を進めており、未来を担う子どもたちに平和で平等な世の中を継承してくことをめざしております。
本市におきましては、今後も引き続き、憲法の三原則や人権擁護都市宣言、非核平和都市宣言の理念が次世代へ引き継がれていくよう着実に取り組んでまいります。

熊野議員質問まとめ
市長はお答えになりませんでしたが、憲法の三原則、国民主権・平和主義・基本的人権の尊重が次世代に引き継がれていくように取り組んでいくという市の姿勢はわかりました。少し安心しました。

しかし、そういう姿勢であれば、市は怒るべきです。あんなに欲しがっていた豊中市はあの土地をあきらめなければならなかった。それなのに国は半分をタダ同然で問題の森友学園に払い下げた。府はこの学園の小学校開校を異様なまでに後押しをしました。今もしているのではないでしょうか。有力政治家が口利きをしたに違いないといわれています。よってたかってこの町に憲法にのっとった教育を否定する小学校をつくることを応援したとしか思えません。どんな力が働いているのか、風評被害まで受けた豊中市市議会は真相究明を国に要求すべきと私は思います。

問題は国有地払下げ疑惑だけではありません。憲法の理念を否定する教育をする学校法人を国や府の機関と大きな政治勢力が応援したのではないかという疑念です。日本を再び戦争する国にしよう、自由が抑圧された時代に戻そうとする勢力が歴史をまき戻そうとしているのではないかという恐れです。真相究明が絶対必要だと思います。幼稚園の子どもたちが為政者を賛美するような映像を見てゾッとした人は少なくないと思います。こんな光景が普通になる日が来てはならない。次世代に平和で自由な国を残すのは、私たちの責務です。先程市民の方から問題の小学校の不認可を求める意見書を議会が出してほしいとの請願書を見せていただきました。憲法を護る義務を持つ市議会として市民の声に応えるべきだとの想いを述べさせていただき、私の質問を終わります。