bibourokurokuの日記

ただ単に私の為の備忘録です^^100%コピペで内容は強烈な事ばかりなので、ほぼ閲覧注意レベルです。コメントに関しては100%スルーなのでお好きにどうぞ^^後内容にが重複する事もあるかも知れないので、その点もご了承下さい。

【これからの指標】いつも参考にさせて頂いている方の今後の生き方について

※以下こちらの方の引用です。
https://www.facebook.com/minoru.ishigaki/posts/2944353958985242

2020.05.14投稿記事

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*植え付けられた恐怖が人を動かす
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ニュースで伝えられる情報が、こころを和ませる話題が中心となれば、人は自然にやさしくなり、他者を思いやり、人の繋がりを大切にしようと考えるようになります。対して、近年のメディアが盛んに伝えてきたのは、痛ましい事件・事故、人間の悪意やずる賢さ、戦争・紛争、自然の脅威、金融・政治・経済・地域の危機、飢えや困窮、格差、感染爆発などをはじめとする、人の氣持ちを暗鬱とさせる話題です。
 
その話題の中には、勿論のこと、現実社会を知る上で重要な話が含まれていることもありますが、必要以上に事実を歪曲し、過剰に誇張したり、捏造や改ざんされた情報が溢れていることもまた事実です。
 
その根底にある目的は、必要以上に他者への警戒心を持たせ、対立と分断を促進し、不安や恐怖を潜在意識の奥深くに植え付けることです。
なぜならば、「恐怖は人を動かすために最も効果的な方法」だからです。
 
 
▼恐怖の効果
 
与えられる「恐怖」の力は絶大です。
恐怖を与える側が、与えられる側のこころに恐怖を棲まわせることで、人(民衆)を企図する方向に容易に動かせることは、数多くの研究者がこれまでに明らかにしてきています。そこで、“善意なき資本”は、隷属する産業界、為政者、有識者、メディアなど駆使し、計算され尽くした方法で、私たちに「恐怖」を植え付けるのです。
 
前文で書いたとおり、基本の「恐怖の植え付け」は既に済んでいます。これまでに植え付けられた恐怖が、先入観や固定観念となって多くの人の潜在意識を支配しています。そこに、今回のコロナ禍の恐怖の植え付けが数ヶ月に渡って行われ、これを受け入れてしまってしまった人の思考は危険水域に達しようとしています。
 
人は潜在的な「死の恐怖」を感じると保守的になり、さらに、「死の恐怖」を管理されることで、体制側に依存する傾向があることが解明されています。
恐怖を煽ることで為政者は支持を高め、景氣に関係なく不安産業は隆盛を極め、関連商品は爆発的な売れ行きとなります。「恐怖への不安」を解消させると言われる商品が、その時代、その時代の大ヒット商品となるのです。これらは、冷静に過去の歴史を振り返れば、明確な事実であることが理解できます。
 
恐怖の効果を知る側は、常に恐怖を利用し、人のこころを動かし、企図する方向に人(民衆)を誘導します。現在のコロナ禍で行われていることもまた同様で、この「情報禍」は、人のこころを誘導することが本質的な目的であることは火を見るより明らかです。
 
そしてその先にあるのは、それまでの自由が失われた色のない世界です。
現在は、次のステージに移行するための最終段階を迎えつつあります。
 
 
▼強要される「自粛」の効果
 
人には生まれつき、自己防衛本能が備わっています。
恐怖から身を遠ざけ、群れで互いを守ろうとします。
そのため、古くから人は集団生活を営んできました。
 
最近の脳科学では、肌などへの物理的な刺激の痛みと、孤独を感じるときの痛みが、脳の反応からは同じであることも明らかにされています。
また人間の五感は、情報空間(ネット会議、ネット呑みなど)に映し出された相手を、本当の意味では信頼できていないことも、霊長類研究の分野で明らかにされています。ネットに頼るのは、返って対立や分断を招く可能性があると言うことです。
 
人は実際に相手と会い、五感を駆使して関わり合うことで、確固たる信頼関係を結ぶことができます。3歳までの乳児が、親(育ての親を含む)との肌のふれあいが多ければ多いほど成長が促進され、知能も向上し、精神的な安定を得ることなどは、江戸時代の昔から多くの人に理解されてきたことです。ベビーカーは4歳以降の次第に肌を離すときに使うべきものです。
 
だからこそ、人は孤独を恐れ、群れから孤立すること、群れから離れることを避け、コミュニティを形成しようとします。そのコミュニティを守るための本能が「同調圧力」や「相互監視」を生み出します。
 
このコロナ禍で与えられる恐怖は、人との接触を「自粛」として禁じることで孤独にさせ、これが一般常識であるという固定観念を新たに植え付け、それに従わない人は「造られた新常識」を受け入れてしまった人による「同調圧力」や「相互監視」で縛ろうとしています。
 
さらに「家に引き籠もる」という状態は、人間の精神面に大きな影響を与える神経伝達物質であるセロトニンの減少を招き、セロトニンの減少は不安を増大させ、不安は免疫力の低下も招きます。その結果、重大な病などを発症することに繋がっていきます。
 
そもそも、感染症の予防として発明されたワクチンの基本的な考え方は、ウイルスは微量であれば発症しにくい性質があるため、病原性を弱めたウイルスを体内に投与し、抗体を作ることです。
 
今回のウイルスは強毒性なものではないことが各所から発表されています。そうであれば尚のこと、「自粛」などをさせずに微量のウイルスとふれあう機会を持てば、自然に抗体が作られるはずです。
 
これを「自粛」などと称して引き籠もらせ、緊急事態宣言解除となった時、ストレスを溜め込んだ(免疫力も低下している)大勢の人が溢れることになれば、運動不足に加え、添加物食などを摂取し、過保護状態だった人の身体が多量のウイルスを防ぎきれず、返って危険を招くのは想像に難い話ではありません。
 
これらの事実から、過度の自粛が何をもたらすのか、考える必要があります。
 
 
▼「消毒思考」の本当の効果
 
昨今の過剰なまでの「消毒思考」も同様です。
人の身体は37兆個の細胞を持ち、腸内細菌はそれを上回る100兆個以上(総重量2kg以上)と言われています。
腸内細菌は宿主(人間)の免疫力を司る重要なもので、近年の研究では腸内細菌が学習や記憶にも影響を与え、人の感情(腸内細菌が減ると不安障害に陥りやすい)にも影響を与えることが解明されています。
 
近年増加の一途を辿っている、鬱病などと呼ばれる「こころの風邪」は、腸内細菌が著しく減少していることの影響があることも伝えられています。
 
同時に皮膚に存在する常在菌は、宿主(人間)の身体に悪影響を与える細菌やウイルスなどを排除するバリア(防壁)を築いてくれています。
このバリアが崩れない限り、体内への侵入を拒んでくれるのです。
 
これを過剰なまでの“消毒”、“空間除菌(直ちに健康被害はないが劇物のため危険)”などをするとどうなるでしょうか?
「消毒」「空間除菌」という行為は、悪いものだけを選別してくれるわけではありません。良いものも合わせて死滅させてしまいます。しかも、細菌やウイルスで有害なのはごく一部に過ぎません。
 
石けんを利用した手洗いも、皮脂を取り過ぎてしまうため、バリアの消失に繋がります。皮脂には数多くの常在菌が存在するのです。
水洗いだけで清潔は保てます。
 
また、治療と称するクスリの投与は、その本来の薬効により、やはり同様に良いもの(腸内細菌)も除去してしまいます。
 
既に私たちには、これまでの対人恐怖の喧伝で、過度の「きれい思考」が植え付けられています。その上さらにこの「消毒思考」が一般化し、当たり前の社会になってしまった世界を想像してみてください。
 
次に起こるのは免疫力や自己治癒能力の低下による、さまざまな病を発症する「病禍」です。しかも記憶や学習能力も衰えてしまってからでは、そこからどうすれば良いのかも判断できなくなります。さらに不安や恐怖も増大するばかりで、やはり多くの人間関係は破綻を迎えることになります。
これは「消毒禍」とも言えるものです。
 
 
▼人類存亡に関わる危機をどう乗り越えるか
 
今起きていること、そして起きている現実を踏まえて進行していることは、人類史上、経験したことのない人間社会の危機です。
 
現在の「情報禍」は、まさに私たち人類の存亡に関わる事態を引き起こそうとしています。それこそ、コロナどころの騒ぎではありません。
 
私たちは、文明社会は着実に進化し、未来はとても明るいものだと信じ込まされてきました。実際は身体もこころも病に冒されるような社会環境・体制が敷かれ、一部の既得権者に都合の良い社会に確実に向かっています。
 
その大きな原動力となって社会を動かしているのは「恐怖」です。
20世紀は恐怖の先入観と既成概念が植え込まれる時代でしたが、21世紀は恐怖による実効支配を確立しようとする方向に向かっています。
 
これを許さないためにも、自分の力で情報を読み解き、考え、判断し、周囲がどうであれ、自分が考えた道を実践し続けることです。
 
 
現代社会では、10人に1人が「不安障害(パニック障害とも)」を抱えていると言われています。5人に1人とする説もあります。
  
不安や恐怖には、大きく3つの種別があります。
「見えない恐怖」「見える恐怖」「架空の恐怖」です。
 
「見えない恐怖」は、放射能や細菌・ウイルスなどによるもので、専門家や有識者などの意見に頼ることで事実を見失いがちになります。専門家でなくとも、ある程度の事実を調べ、そこから考えて対処すれば良いのです。
 
「見える恐怖」は、目の前の他人の悪意、飛行機・交通事故などから引き起こされるもので、トラウマ(心的外傷)となることがあります。このトラウマは多くの人と積極的な関わりを持つことで自然に消えて行きます。
 
「架空の恐怖」は、先入観や固定観念によりもたらされる根拠の無い不安が主なもので、これが差別や偏見、いじめなどの嫌がらせに繋がります。この意識の根底にあるものを取り払えるのは、自分自身の力に他なりません。
 
 
不安障害は、不安を客観視できなくなったことで発症します。
後天的に植え付けられた恐怖は、先入観と既成概念を頭から取り払うことで払拭できます。また、正しい事実をひとつひとつ知るたびに、不安や恐怖も消えていくはずです。この時、中途半端な理解は不安や恐怖を大きくします。
 
そして、恐怖の仕組みをはじめ、恐怖は与えられているという事実を理解し、本当に恐れるべきものと、恐れる必要がないものを正しく区分けし、判断することが重要です。
 
誤解を恐れずに言えば、今回の新型コロナウイルスは、本当に恐れるべき対象ではありません。本当に恐れるべきは、与えられる情報を妄信して行動する人、人間社会としての危機です。
 
 
この情況を乗り越えるためには、現実と真正面から向き合うこと、人に委ねすぎないこと、向き合うべき人とより深く関わり合うことです。
 
「恐怖という不安」に立ち向かい、これを克服すれば、どんな相手であっても恐れる必要はなくなります。
 
恐れが消えれば覚悟も座ります。
覚悟が座ればどれほど強大な相手でも立ち向かうことができます。
 
その時が来れば、民衆が真の勝利を手にすることができます。
途方も無い話かも知れませんが、その可能性は、すべての人が持っているのです。